最高裁判所第三小法廷 昭和55年(オ)626号 判決 1985年7月16日
上告人
清水甲江
上告人
菊池松代
上告人
西川由美子
上告人
浅倉美知子
右四名訴訟代理人
鎌形寛之
高橋政雄
被上告人
エヌ・ビー・シー工業株式会社
右代表者
木谷洋左右
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人らの負担とする。
理由
上告代理人鎌形寛之、同高橋政雄の上告理由第一点及び第二点について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。右違法のあることを前提とする所論違憲の主張は、失当である。論旨は、採用することができない。
同第三点及び第四点について
労働基準法(昭和六〇年法律第四五号による改正前のもの。以下同じ。)六七条は、所定の要件を備えた女子労働者が生理休暇を請求したときは、その者を就業させてはならない旨規定しているが、年次有給休暇については同法三九条四項においてその期間所定の賃金等を支払うべきことが定められているのに対し、生理休暇についてはそのような規定が置かれていないことを考慮すると、その趣旨は、当該労働者が生理休暇の請求をすることによりその間の就労義務を免れ、その労務の不提供につき労働契約上債務不履行の責めを負うことのないことを定めたにとどまり、生理休暇が有給であることまでをも保障したものではないと解するのが相当である。したがつて、生理休暇を取得した労働者は、その間就労していないのであるから、労使間に特段の合意がない限り、その不就労期間に対応する賃金請求権を有しないものというべきである。また、労働基準法一二条三項及び同法三九条五項によると、生理休暇は、同法六五条所定の産前産後の休業と異なり、平均賃金の計算や年次有給休暇の基礎となる出勤日の算定について特別の扱いを受けるものとはされておらず、これらの規定に徴すると、同法六七条は、使用者に対し生理休暇取得日を出勤扱いにすることまでも義務づけるものではなく、これを出勤扱いにするか欠勤扱いにするかは原則として労使間の合意に委ねられているものと解することができる。
ところで、使用者が、労働協約又は労働者との合意により、労働者が生理休暇を取得しそれが欠勤扱いとされることによつて何らかの形で経済的利益を得られない結果となるような措置ないし制度を設けたときには、その内容いかんによつては生理休暇の取得が事実上抑制される場合も起こりうるが、労働基準法六七条の上述のような趣旨に照らすと、このような措置ないし制度は、その趣旨、目的、労働者が失う経済的利益の程度、生理休暇の取得に対する事実上の抑止力の強弱等諸般の事情を総合して、生理休暇の取得を著しく困難とし同法が女子労働者の保護を目的として生理休暇について特に規定を設けた趣旨を失わせるものと認められるのでない限り、これを同条に違反するものとすることはできないというべきである。
これを本件についてみると、原審の確定したところによれば、(1) 被上告人会社には、その従業員で組織する日本中野篩絹労働組合(以下「本件組合」という。)とエヌ・ビー・シー工業労働組合(以下「エヌ労組」という。)とがあるが、本件組合に所属する女子従業員の生理休暇取得率は、エヌ労組所属の従業員及び他企業の従業員に比べて著しく高く、その原因は、主として業務の性質に基づく生理休暇取得の必要性、労働組合、労働者及び使用者の生理休暇に対する態度等の相違にあるが、必ずしもそれだけでなく、本件組合所属の女子従業員の取得した生理休暇のうちには、労働基準法六七条所定の要件を欠くものがかなりあつたことにもよると推認される、(2) 上告人らの勤務する豊田工場における本件組合所属の女子従業員の出勤率は、昭和三七年以降順次低下し、昭和四六年においては、エヌ労組所属の女子従業員の出勤率が九四パーセントであつたのに対し、本件組合所属の女子従業員のそれは七五パーセントであつた、(3) 被上告人会社においては、右のような出勤率の低下のほか作業能率の低下等も原因となつて、生産性が低下し、経営が悪化して事業の維持も危ぶまれる状況に至り、同業者との競争に不利益を受けることが明らかとなつたため、被上告人は、その打開策として出勤率向上対策を図ることとし、その焦点をすべての欠勤から順次所定の要件を欠く生理休暇と自己都合欠勤とに絞りながら、種々の方策を講じたのち、精皆勤手当を設けることとした、(4) 被上告人は、昭和四五年四月一七日エヌ労組との間で、また、同年五月一九日本件組合との間で、順次、「出勤不足日数のない場合 二五〇〇円、出勤不足日数一日の場合 一五〇〇円、同二日の場合 五〇〇円、同三日以上の場合 なし」との定めにより精皆勤手当を支給することを内容とする労働協約を締結し、生理休暇取得日数を出勤不足日数に算入する旨口頭で約し、更に、昭和四六年四月一四日エヌ労組との間で同手当の額を二倍に増加する旨の労働協約を締結したのち、同年一一月四日本件組合との間で、同手当の額を同年三月二一日以降、「出勤不足日数のない場合 五〇〇〇円、出勤不足日数一日の場合 三〇〇〇円、同二日の場合 一〇〇〇円、同三日以上の場合 なし」とする旨口頭で合意し、同時に、生理休暇取得日数を従前どおり出勤不足日数に算入する旨口頭で約した、(5) 被上告人は、同年一一月二五日、上告人ら四名を含む女子従業員に対し、生理休暇取得日数を出勤不足日数に算入して計算した精皆勤手当を支給したが、受給者はいずれも異議を述べず、これにより、上告人らは、右の被上告人と本件組合間の合意及び約束に従い、精皆勤手当の金額を右合意における金額と同額に増額すること及び生理休暇取得日数を出勤不足日数に算入することを黙示的に約した、(6) 被上告人会社においては、生理一回当たり二日間に限り生理休暇取得者に不就業手当として基本給相当額を支給しており、その額は一日当たり上告人清水甲江につき一五五六円、同菊池松代につき一四九二円、同西川由美子につき一四六〇円、同浅倉美知子につき一五一〇円であるが、生理休暇を取得すると、その日数が精皆勤手当算定の基礎となる出勤不足日数に算入されるため、同手当の額が減少し、一日当たりの減少額は右基本給相当額を超える場合があるほか、夏期及び年末の一時金の一律支給分は出勤不足日数に応じて定まる支給率を乗じて算出され、夏期及び年末の特別手当金は出勤日数に応じて算定されるので、毎月二日ずつ生理休暇を取得すると、これを取得しない場合に比し、一律支給分は八・一パーセント、特別手当金の額は支給の都度六五〇〇円それぞれ減少することとなり、また、精皆勤手当が時間外勤務手当計算の基礎に算入されるので、右のとおり生理休暇を取得する者の時間外勤務手当の単価が一時間当たり二六円減少する、(7) 生理休暇取得日数を出勤不足日数に算入する旨の前記約束によると、一か月に自己都合欠勤をしなかつたか又はその欠勤日数が一日か二日である者については、生理休暇を取得することによつて精皆勤手当を減額されるが、一か月に自己都合欠勤三日以上の者については、生理休暇を取得しても、精皆勤手当の減額が生理休暇取得ゆえとは断定できず、また、昭和四六年における本件組合所属の女子従業員の出勤率七五パーセントを前提とすると、一か月の所定労働日数が二五日である場合、一人平均出勤不足日数が六・二五日となり、右平均値にある者ですら、年次有給休暇及び慶弔休暇取得日数を一日とすれば、一か月に生理休暇を二日取得しても自己都合欠勤が三日となり、精皆勤手当の減額が生理休暇取得ゆえとは断定できない筋合である、(8) 被上告人会社は、本件組合に所属する女子従業員の出勤率向上の目標を九二パーセントとしているが、これは、一か月に二日間の生理休暇を取得したとしても自己都合欠勤をしなければ達成できるところであり、仮にこれを被上告人会社の全従業員の出勤率向上目標とすれば、エヌ労組所属の従業員が男子九六パーセント、女子九四パーセントの出勤率を維持する限り、本件組合所属の女子従業員の出勤率が八八パーセント程度であつても、達成可能な目標であるから、この目標設定をとらえて生理休暇の抑圧を目的とするものとは断定できない、(9) 被上告人の支給する精皆勤手当の額及びその賃金に占める割合は、他企業に比べて著しく高いとはいえず、精皆勤手当、一時金等の支給にあたり生理休暇取得日を欠勤扱いとすることも、他の企業においてしばしば見られるところである、というのであり、以上の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができる。
右の事実関係の下においては、被上告人が精皆勤手当を創設し次いでその金額を二倍に増額したのは、所定の要件を欠く生理休暇及び自己都合欠勤を減少させて出勤率の向上を図ることを目的としたものであつて、生理休暇の取得を一般的に抑制する趣旨に出たものではないとみるのが相当であり、また、同手当の算定にあたつて生理休暇の取得日数を出勤不足日数に算入することにより労働者が失う上記のような経済的利益の程度を勘案しても、かかる措置は、生理休暇の取得を著しく困難とし労働基準法が女子労働者の保護を目的として生理休暇について特に規定を設けた趣旨を失わせるものとは認められないから、同法六七条に違反するものとはいえず、また同法一条二項、一三条に違反するものでもない。そして、右の措置により精皆勤手当を減額することが、生理休暇取得者に対し減給の制裁を定めたものといえないことはもとより、懲罰、損害賠償の予約と同視すべきものともいえないから、これをもつて同法九一条に違反するということはできない。そうすると、被上告人と上告人らとの間の、生理休暇取得日数を出勤不足日数に算入する旨の前記約束は、これを無効とすべき理由はないというべきである。これと同旨の原審の判断は正当であつて、原判決に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。
同第五点及び第六点について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は原判決を正解しないものであつて、採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官長島 敦 裁判官伊藤正己 裁判官木戸口久治 裁判官安岡滿彦)
上告代理人鎌形寛之、同高橋政雄の上告理由
(序)
原判決の理由の要旨は概ね次のようなものである。
一、控訴人らは、昭和四六年一一月二五日被控訴人会社から、同年一一月分精皆勤手当として各一、〇〇〇円を受領したが、この際に控訴人と被控訴人会社との間において精皆勤手当を、
出勤不足日数のない場合 五、〇〇〇円
出勤不足日数一日の場合 三、〇〇〇円
同二日の場合 一、〇〇〇円
同三日の場合 なし
とすること。
および生休取得日数を右出勤不足日数に算入することを黙示的に契約した。
二、控訴人らの従事する業務は、女子年少者労働基準規則(以下「女年則」という)一一条一項一号乃至二号に該当するから、いずれも労基法六七条に規定する生理に有害な業務であるというべきところ、被控訴人会社は昭和四六年六月八日本件組合に対し生理中の従業員のため工場付近の男子寮に休憩室を設けここで労基法三四条一項所定の休憩時間以外に一時間休憩することを認める旨通告したので、この休憩時間付与等の措置は女年則一一条二項一号に該当するので、結局控訴人らは昭和四六年六月八日までは生理に有害な業務に従事する者として、それ以降は生理日の就業が著しく困難な者として、生理日にそれぞれ生休を請求できる筋合である。
三、控訴人らの生休取得の必要性及び被控訴人会社による精皆勤手当創設とその金額倍増の経緯は次のようなものであつた。
(一) 控訴人ら女子組合員の生休取得率は著しく高く、その原因は主として業務の性質にもとづく生休取得の必要性、労働組合・労働者及び使用者の生休に対する態度等の相違にあるが、必ずしもそれだけではなく、女子組合員の取得した生休のうちには労基法六七条所定の要件を欠くものがかなりあつたことによるものと推認せざるを得ない。
(二) 被控訴人による本件精皆勤手当創設及びその金額倍増の目的は、不適法な生休のほか、自己都合欠勤も減少させ、もつて出勤率の向上をはかるにあつたというべきであり、これが生休一般の不行使を奨励する趣旨であつたとは断定できない。
四、労基法六七条は、賃金の支払を使用者に命じ、あるいは何らかの関係において生休取得日を出勤したものとみなすべきことをも含むものではないと解するのを相当とし、また、労基法一条二項は当事者に同法所定の基準を理由として労働条件を低下させることを禁じ、その向上を図ることを要請するにとどまり、生休取得日につき賃金を支払うことを求める趣旨ではないと解される。
従つて労基法は全体として生休取得者につき賃金を保障していないし、又賃金支払を禁じているわけでもないから、その選択を民法及び当事者の合意に委ねていると解すべきであり、結局当事者の合意に任されていることとなる。
五、使用者が労働者の出勤率の向上により生産性の改善を図る場合、そのための手段方法は労働者の諸権利との関係で自ら制約を受けると解するのが相当であるが、本件精皆勤手当の創設及びその金額倍増の目的は不適法な生休と自己都合欠勤とを抑制することにより、出勤率の向上を図るにあり、生休一般の不行使を奨励する趣旨にあるのではなく、たまたま生休を必要とする生休取得者に本件手当を支給せず又これを減額する結果となり、生休取得を抑制するとの事態が生じたとしても、そのことから直ちにかような当事者の合意に基づく不支給等の措置を違法であるとは解し難い。
六、生休取得日数を出勤不足日数に算入することが、生休取得者に対し本件手当を減額する結果になつたとしても、このような経済的不利益により女子労働者が生休を事実上取得できなくなるとは考えられず、また、これが生休取得者に対する制裁・懲罰・損害賠償の予約と同視すべきものとはいえないから、これをもつて労基法九一条の精神に反するとは解されないし、本件組合の運営に対する支配介入をしたものともいえないから、結局これが労組法七条一、三号に違反するとは解されない。
(上告理由)
第一点 原判決の生休取得要件に関する判断は女年則一一条の解釈適用を誤り、労基法六七条に違反し、ひいては憲法二七条に違反している。
原判決は「いずれも労基法六七条に規定する生理に有害な業務であるというべきところ、会社のとつた休憩時間付与等の措置は女年則一一条二項一号に該当すると考えられるので、結局控訴人ら及びこれと同業の業務に従事する組合員は昭和四六年六月八日までは生理に有害な業務に従事する者として、それ以後は生理日の就業が著しく困難な者として、生理日にそれぞれ生休を請求できる筋合である」(原判決F-3)したうえで「女子組合員の取得した生休のうちには労基法六七条所定の要件を欠くものがかなりあつたことによると推認せざるを得ない」(同F-8)とする。
このように労基法六七条所定の要件を欠く生休取得があつたとするが、この前提として、労基法六七条所定の要件とは何かという法令解釈が不可欠であるところ、この点において次のごとく女年則一一条、労基法六七条の解釈適用を誤った。
(一) 原判決は、労基法六七条に規定する生理に有害な業務であるが、昭和四六年六月八日以降は女年則一一条二項一号による休憩時間付与等の措置がとられたので、それ以降は生理日の就業が著しく困難な者として、生理日に生休を請求できるにすぎない旨判示する。
しかしながら、労基法六七条、女年則一一条一項により、生理に有害な業務に従事する者として生休を取得してきた者に対し、使用者が一方的にその生休権行使を妨げるために、女年則一一条二項による休憩時間付与等の措置をとつたとするに至つても、すくなくともかかる場合は同条一項一乃至三号に基づく生理に有害な業務たることを否認しうるものではないと云わなければならない。
労基法六七条は、「生理に有害な業務の範囲は、命令で定める。」となし、これを受けて、女年則一一条一項において、右業務の範囲を定めているところであり、これをもつて労基法六七条により命令に委任された事項は尽るのであつて、休憩時間付与等の措置をなせば、生理に有害な業務性を一部否定するとする女年則一一条二項の規定は労基法六七条による授権の範囲を越える違法な命令たる疑いがある。このことは生理に有害な業務であるものが、単に休憩時間を付与する等のことのみで、直ちに有害な業務でなくなるとは到底解しえないことから明らかであり、労働条件に関する基準は法律で定めるとする憲法二七条二項にも違反する疑いは大である。
しかるに、右のように女年則一一条二項が直ちに違憲乃至違法なものと解されないとされる場合においても、同項による休憩時間付与等の措置は、生理に有害な業務に従事する労働者が生理時に就業するにあたつて、その母性としての健康の保持を十分に保障しうる措置たる実態を伴うものとして行われるものでなくてはならないのであつて、被上告人会社のごとく、上告人らの生休取得を嫌悪し生休取得者に不利益を強いることをもつて、生休取得の減少をはかることをねらいとした精皆勤手当の創設とその手当額の倍増をなさんとし、これをめぐつて生じた労使紛争の最中に、男子寮の中に休憩室を設けたと称するのみの、何ら実態も伴わない措置を、単に形式的一方的に行つたとするのみで、直ちに生理に有害な業務性を否定しうるものではないと解さなければならない。
原判決は、この点、被上告人会社による休憩時間付与等に至る経緯、そのねらい、また、かかる措置の実態等からして、被上告人会社が休憩時間付与等の措置を行つたとする昭和四六年六月八日以降においても、上告人らの業務は従前同様に有害業務であると解すべきにもかかわらず、これを否定したのは女年則一一条二項一号の解釈を誤り、且つ労基法六七条、憲法二七条二項に違反するものである。
(二) 原判決は、労基法六七条所定の要件を欠く生休取得がかなりあつた旨判示する。
しかし上告人らはいずれも生理に有害な業務に従事する者であつて、生理日には他に如何なる要件も要することなく直ちに生休を取得できるのである。原判決は、生理に有害な業務に従事する婦人労働者による生休取得の要件について、労基法六七条に違反した判断をなした、と云わなければならない。
なお、原判決は前項のごとく、昭和四六年六月八日以降の上告人らの生休については、法令の解釈適用を誤つて、生理日の就業が著しく困難な者として生理日に生休を請求できるとした結果、その帰結として同様に誤つて労基法六七条所定の要件を欠く生休取得があつたとの判断に達した、と云うことになる。
しかし原判決が「労基法六七条所定の要件を欠くものがかなりあつた」とするのは右昭和四六年六月八日以降についての判断と云うよりは、原判決自体も生理に有害な業務であつたと判示する、それ以前の生休取得に対するものと云わなければならない。このことは被上告人会社が精皆勤手当を創設したのは昭和四五年度のことであり、本件のごとく手当額を倍増するとの動きを示したのも遅くとも昭和四六年四月五日のことであり(同G-1〜G-4)、いずれも昭和四六年六月八日より相当以前のことであつて、原判決自体、「生理に有害な業務」であつたとする当時のことであつたにもかかわらず、この精皆勤手当の創設とその手当額倍増の目的は「不適法な生休のほか自己都合欠勤も減少させて、もつて出勤率の向上をはかる」(同G-13)、「不適法な生休と自己都合欠勤とを抑制することにより、出勤率の向上を図る」(同H-3)ためのものと判示することから明らかである。
以上のごとく原判決は、生理に有害な業務に従事する婦人労働者の生理日における生休取得の要件を、労基法六七条に違反して加重したものであり同条違反と云わなければならない。
そして、以上の点は、結局憲法二七条二項に違反するものである。
第二点 原判決の本件生休取得に関する判断は、経験法則に違反して事実を認定したものであり、民事訴訟法一八五条に違反し、審理不尽、理由不備の違法があり、判決に影響すること明らかである。
原判決は、上告人らの生休取得の必要性に対し、「労基法六七条所定の要件を欠くものがかなりあつた」(同F-8)とし、「本件手当創設及びその金額倍増の目的は、不適法な生休のほか自己都合欠勤も減少させ、もつて出勤率の向上をはかるにあつた」(G-13、H-3)としている。
原判決はこのように、労基法所定の要件を欠く、あるいは不適法な生休取得があつた旨判断しているが、上告理由第一点のごとく労基法六七条の要件につき解釈の誤りをおかしたものである。
しかし、仮に労基法六七条の要件に、同法が定める要件以外に要件を附加する等の誤りを侵ものではないとすれば、原判決は如何なる理由でもつて上告人らの生休取得を不適法な生休等と判断したのか、はなはだ不明である。論理的には、ただ一つ上告人らの生休取得が生理日以外の日に行われた、と云うこと以外にはありえないと解されるが、原判決はその旨、明らかにしてはおらず、また生理日以外に生休が取得されたと解される主張も証拠も全く存在しないことからして、この点明らかにしえなかつたと云える。
なお、原判決は、単に「以上の諸事実によると」(同F-8)とするのみであるが、この以上の諸事実をみてみるに
① 控訴人らは生理に有害な業務に従事する者であること。但し昭和四六年六月八日以降は、控訴人会社が休憩時間付与等の措置をとつたので有害業務ではないとする(同F-1〜F-3)。
② 製造業あるいは第二組合であるエヌ労組の女子組合員等と比較して、控訴人ら組合の組合員の生休取得率は高率であること(同F-3〜F-4)。
③ 控訴人ら組合の組合員等の生休取得状況につき、取得率の推移と、その間休日の前後が他に比べて高率であること、労働組合が毎回二日生休を取得するよう努力してきたこと(同F-6〜F-8)。
等と云うことにすぎない。
しかるに①は上告理由第一点で触れた通りのことであり、②はこれにより上告人ら組合の組合員以外の婦人労働者は生理日に生休を取得しない、と云う事実が判明するのみで、上告人らが生理日以外に生休を取得したことを何ら明らかにするものではなく、③についても、このうち労働組合が生休二日取得に努力してきたことは有害業務であれば当然なことであり、何ら非難されるべきことではなく、まして、生理日に生休を取得した事実の推認の根拠とはなつても生理日以外に生休を取得したことを認める理由には全くなりうるものではない。残るは休日の前後に生休取得率が高いと云う点であるが、生理の期間が二日以内等の前提でもない限り、このことから直ちに生理日以外に生休を取得したことが推認できるものではなく、通常生理の期間が個人差があつても三、四日以上と云うことおよび休日に生休取得はありえないことからその前後が若干高率となるのはむしろ当然なことであつて、判決が摘示する乙第二九号証の一乃至九からも右のごとき傾向以上の取得率の差は全く認められず、かえつて同証からは別表、「乙第二九号証に基づく生理休暇取得状況と各人の生理周期表」のごとく生理の周期に従つた生休取得が認められる(多少のずれは当然なことである)のであつて、同証は生理日に生休が取得された事実を証明する証拠と云わなければならない。
原判決が、生理日以外の日に生休を取得したことを推認するに足りる何らの事実も、また証拠もなく、かえつて反対に生理日に生休取得をしたことを推認しうる事実と証拠に基づき、生理日以外の日の生休取得を推認し、このこと故に「取得した生休のうちには労基法六七条所定の要件を欠くものがかなりあつた」と推認するのであれば、採証に関し経験則に違反することは明らかであり、民事訴訟法一八五条の自由心証主義を逸脱するものである。また生理日以外に生休を取得した事実が存在しない以上、労基法六七条所定の要件を欠く生休取得があつたとする論理的余地も全く無く、従つて、第一点のごとく労基法六七条等の法令の解釈適用を誤つたものではないと解されるにせよ、経験法則乃至論理法則に反して労基法六七条所定の要件を欠く生休すなわち不適法な生休取得を認定したものであり、民事訴訟法一八五条に違反し、審理不尽、理由不備の違法を犯し、この違背は判決に影響すること明らかである。
第三点 原判決の本件手当に関する判断は、労基法一条二項、一三条、六七条に違反し、これは判決に影響を与えること明らかである。
原判決は、「本件手当創設及びその金額倍増の目的は、不適法な生休と自己都合欠勤とを抑制することにより、出勤率の向上を図るにあり、生休一般の不行使を奨励する趣旨にあるといえない」(同H-3)とし、「生休は女子労働者の権利ではあるが、労基法が有給を保障し又は無給を禁止しているわけではないからたまたま生休取得者に本件手当を支給せず、又はこれを減額する結果となり、生休取得を抑制するとの事態が生じたとしても、そのことから直ちにかような不支給等の措置を違法であるとは解し得ない」(同H-4)と判示する。
この点、生休に対し、労基法が有給を保障し又は無給を禁止しているわけではない。しかし単に無給扱いとする以上の経済的不利益を生休取得者が強いられることを許容するものとは解されない。上告人らの本件当時の賃金日額は、上告人清水一、五五六円、同菊池一、四九二円、同西川一、四六〇円、同浅倉一、五一〇円であり、いずれも一、五〇〇円前後のところ、生休を取得すれば、その取得一日につき本件手当二、〇〇〇円が減額されるのであり、無給より以上の経済的不利益である。
(なお、労働協約・就業規則により生休は有給とされ、従つて賃金日額は別に支給されるが、これは労働協約等に基くものであり、本件手当減額がこの労働協約等違反の脱法的措置として違法とされこそすれ、経済的不利益を直接補なうものと解しうるものではない。)
生休取得者にかかる多大な経済的不利益を強いることをもつて、生休取得を抑制する目的の下に創設され倍増された本件手当は、現に生休取得を抑制するために機能するものであり、生休の権利性を否定するものに外ならない。
原判決はこの点、上告理由第一点のごとく労基法六七条所定の生休取得の要件を誤つて判断し、あるいは少なくとも第二点のごとく不適法な生休取得など判断しうる余地がないのにこれをなした結果、本件手当をもつて抑制せんとする生休は不適法な生休であると判示するに至つたが、この判断と生休に対し労基法は無給を禁止していない等の解釈を前提として、たまたま適法な生休取得を抑制する事態が生じたとしても違法ではない旨の結論に達したところであるが、このことは生休権の権利性を否定するものであつて、労基法一条二項、一三条、六七条の解釈適用を誤つたものと云わざるをえない。
本件手当において、生休取得者を欠勤扱いし、これに対し一日につき二、〇〇〇円を減額することは労基法一三条に違反し無効なものであり判決に影響すること明らかである。
第四点 原判決の本件手当に関する判断は、労基法九一条の解釈適用を誤り、且つ理由不備及び理由に齟齬がある。
原判決は、「生休取得日数を出勤不足日数に算入することが、生休取得者に対し本件手当を減額する結果になつたとしても、前記説明から明らかなとおり、これが生休取得者に対する制裁、懲罰、損害賠償の予約と同視すべきものとはいえないから、これをもつて労基法九一条の精神に反するとは解されない」(同H-5)とする。
一方、労基法九一条は「減給の制裁を定める場合においては、その減給は、一回の額が平均賃金の一日分の半額を超え、総額が一賃金支払期における賃金総額の十分の一を超えてはならない。」としている。
被上告会社は、本件手当支給の趣旨を、「精皆勤者に対する報償と精皆勤者の奨励」である旨主張するところであるが、この手当支給の趣旨は、「出勤しない者」に対する減給の制裁に外ならない。
この点原判決も一方では「不適法な生休と自己都合欠勤とを抑制すること」にある、としていることからして抑制的効果を果す一種の制裁措置として機能するものであることは認めている、と云える。
原判決が「前記説明から明らか」とする前記説明とは何かは全く明らかではないが、判決が一方で判示するごとく「不適法な生休と自己都合欠勤とを抑制する」ためのものであれ、単にこれを無給扱いすることを越えて、賃金を減額するものであれば、本条の減給である(法律学全集47「労働基準法」有泉亨二三一頁)。
上告人らの賃金は日給制であり、自己都合欠勤の場合は勿論賃金は支給されないが、この賃金不支給額とは別に本件手当の不支給という名目の下に、賃金日額以上の減給措置がとられるのであつて、本条違反と云わなければならぬ。
生休取得の場合は、労働協約等により生休は有給とされている結果、別途賃金日額の支給は受けるが、このことは労働協約等に基づくものであつて、このこと故生休取得者に対する本件手当の不支給が本条違反とならないとすることはできない。
仮に生休取得の場合は、その一日につき本件手当二、〇〇〇円は不支給となるが、別途日額(約一、五〇〇円)が支給される結果、差引五〇〇円内外であり、結局賃金日額の半額を超えることとならないので本条違反とはならない、と解されるとするならば、労働協約等で生休を有給とした趣旨は無に帰してしまうこととなり、また自己都合欠勤の場合は本条違反となるが、生休の場合は違反とならないというごとき不都合な結論が導びかれてしまう。
原判決が誤って判示するごとく、不適法な生休を抑制する目的のものと解したにしろ、適法な生休をも抑制する措置として機能することは否定しえないところ、本件手当は、上告理由第一点、第二点のごとく適法な生休を抑制せんとするものであつて、本条違反であることは明らかである。
原判決が本条違反ではないとしたことは本条の解釈適用を誤つたものであり、且つ、本条違反ではないとした点につき、理由不備乃至理由に齟齬があること明らかである。
第五点 原判決の契約成立に関する判断は、論理法則、経験法則に違反し、理由不備なものであり、このことは判決に影響すること明らかである。
原判決は、「控訴人らが昭和四六年一〇月二一日から同年一一月二〇日までの間、生休を二日取得したほか就規所定の勤務すべき日には出勤して労務を提供したところ、同月二五日会社から右期間中(いわゆる一一日分)の本件手当として各一、〇〇〇円を受領したことは争いがない。
佐藤、寺倉証言によると、控訴人らは右受領の際、右金額の算出方法等につき異議を述べなかつたことは明らかである。」となし、このことから、「控訴人らが異議なく右金員を受領した際会社との間で、生休取得日数を出勤不足日数に算入することを黙示的に契約したと推認するのほかにはない。なお、控訴人らが昭和四七年一月一七日本訴を提起していることは訴訟上明らかであるが、このことをもつて右認定を左右することはできない。」(同E-4)旨判示するに至つている。
原判決がこのように、「生休取得日数を出勤不足日数に算入することを黙示的に契約した。」とするところであるが、かかる結論を導びくに至る過程は論旨展開の基本ルールを逸脱した極めて恣意的なものである。
原判決は、「異議を述べなかつた」ことから、即「異議なく右金員を受領した」すなわち「異議は無かつた」かのごとくに判示し、さらにこれを「黙示的に契約した」に結びつけている。単に「異議を述べなかつた」事実と、真に「異議はない」事実とは異ること明らかであるし、また「異議が表示されなかつた」事実から直ちに黙示的に契約を推認しうるものでもない。
原判決は、上告人らが「異議を述べなかつた」ことを「異議が無かつた」事実に置き替え、異議が無いからには契約の成立を推認可能とするのか、それとも上告人らに異議があってもそれは内心の意思であり、異議が表示されない限り、契約の成立を推認しうるとしたものか、そのいずれなのかは、かならずしも明らかではないが、そのいずれであるにせよ到底かかる推認は許容しうるものではない。
前者すなわち上告人らには異議はなかつたとするのであれば、異議を述べなかつたことから、何故直ちに異議はなかつたということになるのかが問題と云わなければならず、かえつて反対に労使関係の一般的特質に加えて本件においては、証拠上明らかであり、且つ原判決もその一部を認めているごとく精皆勤手当をめぐる労使関係の推移(同G-1―G-6)の中から、上告人ら組合は、生休を出勤不足日数にすることに反対し続けていた事実が認められることからして、仮に「異議は述べなかつた」としても、それは異議はあるが異議を明示するに至らなかつたということにすぎない、とみなければならない。
また、原判決は、「なお控訴人らが昭和四七年一月一七日本訴を提起していることは訴訟上明らかであるが、このことをもつて右認定を左右することができない」とし、生休を出勤不足日数に算入するとの契約乃至約束の成立を推認するところ、一方では「この問題を法律上の争いとして裁判所に訴える際、事態を自己の立場に副つて有利に展開させるためには右合意及び約束中本件手当関係部分を文書化して労協とすることは不適当と考え」(同G-5)と判示し、上告人らが昭和四六年一一月分手当一、〇〇〇円を受領する以前の同月四日の時点で上告人ら組合は、本件訴訟提起を予定していた事実を認めている。かかる組合の方針に副つて本件訴訟を提起したのが上告人らに外ならないのであり、原判決判示の事実からはかえつて「異議はある」との事実が導びかれなくてはならないところである。
従つて、原判決が、上告人らは異議はなかつたとするのであれば、これを前提とする黙示の契約の推認は誤りと云うこととなる。
次に上告人らは異議は有していたが、その異議は表示されないので「黙示的に契約したと推認する」とするものであるとしたら、これまた何故に一、〇〇〇円受領の際、「右金額の算出方法等につき異議を述べなかつた」事実から、これを推認しうるのかが問題と云わなければならない。かかる推認が許されるとしたら、労使間において、賃金の額について双方の主張が一致するに至らない場合、労働者がその一部を受領するなら、その労働者は異議を述べない限り使用者の主張を認めたこととされてしまうこととなる。
労働者の置かれた立場からしてこの推認は到底是認しうるものではない。使用者が提示する金額以上の金額を要求している労働者にとつては、少額とは云え使用者の提示する金額を上まわる要求部分より必要度は髙いのである。賃金のみによつて生活する労働者に対して、かかる使用者の提示額を要求額の一部として受領するに際して、特に明示の異議を述べない限り、使用者の提示額を了承したものと推認するとするなら、結局使用者の提示額に従うことを強要することに通じる以外にないこととなる。
本件は昭和四六年度賃金改訂の際、その大幅ベースアツプと併せて本件精皆勤手当の増額が提示された事案であり、一、〇〇〇円を原判決の判示するごとき一、〇〇〇円として受領したのではなく妥結したベースアツプ分を含めた賃金の一部に一、〇〇〇円が含まれていたにすぎないのであり、この一、〇〇〇円の受領から直ちに、生体を出勤不足日数に算入することに同意を与えたと推認することは誤りと云わなければならない。
以上いずれの場合であれ、黙示の契約を推認した論旨には、論理法則乃至経験法則に反した論理の飛躍乃至齟齬であり、判決には理由不備の違法があり、このことは判決に影響すること明らかである。
第六点 原判決は使用者による労働条件の一方的不利益変更を認めたが、民法一条二項、三項、労基法二条に違反し契約の法理なかんずく労働契約の法理に反するものであり、これは判決に影響すること明らかである。
原判決は、生休取得者と自己都合欠勤者に対し、不利益を強いる労働条件の変更を適法とする。その理由は多岐にわたるが結局形式的には、①労働者の同意を得たとする点にあり、これを実質的にみるとしてもこのことに加え、②その変更には合理性がある、の二点につきる。しかし、上告人らの同意は上告理由第五点のごとく到底これを認めることはできない。
また、原判決は昭和四五年および四六年の賃金改訂の際に、被上告人の上告人ら組合との間に「生休取得日数は出勤不足日数に算入する」旨の口頭の約束の存在を認定するところであるが、この口頭の約束は上告理由第五点と同趣の理由からこれを認めることはできないところ、さらにこの口頭の約束は原判決自体が上告人らに効力を及ぼさない旨判示しているところであり、従つて上告人らに対する関係において、このことをもつて同意があつたとすることにもなりえず、一方的不利益変更であること明らかである。
また、この変更の合理性であるが、上告理由第一点乃至第四点から明らかなごとく、適法な生休と自己都合欠勤取得者に多額な不利益を強いるもので、少なくとも適法な生休取得者に不利益を強いる点において合理性を認めることはできない。
そもそも使用者が労働者の同意を得ずに労働条件を一方的に不利益変更することは、原則としてできない(最高裁大判昭43.12.25、最高裁民集二―一三―三四五九)ところであり、例外的に許される場合があるとしても、それは労使関係において合理的なものと解される場合のみ許容される(東京高判昭50.10.10、高裁民集二八―四―三二〇)のであつて、使用者にとつて合理的と受け止められるものであつても、労働者にとつて不合理なものは、到底合理的なものと云えない。
この点事務的技術的に生休取得者と自己都合欠勤者との取扱いを区別することが不可能等の理由はなく、これを区別することが可能であるにもかかわらず、区別することなく、ことさらに本件手当上の出勤不足日数に算入するとするものであり、到底この取扱いは生休取得者に対する関係において合理性を見い出すことはできない。
なお、本件精皆勤手当の創設とその金額の倍増が労働条件の不利益変更であることは次の点から明らかである。
上告人の生理休暇は、昭和四〇年四月一六日は労働協約において二日間は有給とするものとされ(同F-9、甲第一三号証)以降就業規則にこの旨規定され、その賃金保障を受けてきたが、昭和四五年精皆勤手当の創設により、生休取得一日につき同手当一、〇〇〇円を不支給とするものとされ、さらに同四六年にこれが倍増されて同手当二、〇〇〇円が不支給となるように変更された。このことが生休取得者に不利益であることは否定し難いところであり、基本給の増額等により賃金支給額全体では減額されていない等の理由でその不利益性が否定されるものではない。すなわち経済情勢の変動に応じて増額されるべき生休取得者に対する実質賃金を低下させるものであり、不利益を与えるものではないとすることはできない(東京高判昭54.12.20労判三三二―一七)のである。
以上原判決は民法一条二項、三項、労基法二条に違反し労働契約の法理に反するものであり、これは判決に影響をおよぼすこと明らかである。